「私たちには関係ない。」このまま社会を無視し続けるのか。


生きづらい経験をし、それをもとに活動している人はこんなことをいいます。

「人は経験したことしか、理解することはできない。」

私も不登校や引きこもりの経験から、いろんな活動をさせてもらっています。この意見があるからこそ、元当事者だったから当事者のことを理解できるということが強み、アイデンティティーとなって活動ができているのだと思います。


でも、そんなことを言われたら、当事者ではない人間からしたら

「私たちは、当事者ではないから理解することができない。」

って思ってしまうかもしれません。

それ以上に、

「当事者ではないから、どうでもいいや。」

だなんて思う人もいるのではないでしょうか。

当事者も、当事者ではない人間は全てを理解できるわけではないことを知っていて、だからか、当事者ではない人が理解しようと歩み寄ると「同情」と思われて、避けられることもあるようです。


それでも、生きづらさを抱える多くの人は、理解してほしいという気持ちがあると思っています。

私の場合、不登校だったとき、学校に行くことが苦しいという思いに寄り添ってほしかったり、将来への不安をわかってほしかったり……。とにかく、どんな解決策よりも理解してほしいという思いが強かったように思います。

それは、当事者にだけではなく、より多くの人に。


だから、出会った多くの人の態度で一番辛く苦しかったのは、同情よりも批判よりも「無関心」でした。



冷たい社会だと思ってしまった。


例えば、10代の自殺のニュース。

自殺の原因に、いじめや、体罰や、家庭環境などがあげられたりして大々的に取り上げられたりしますが、時折こんな意見を見かけます。

「我慢できなかったのか。」「そんなことくらいで。」「今の子どもは弱い。」

私は、そんな意見に心を痛めました。なぜなら、自殺をしようと考えたことがある分、自殺をしてしまった10代の気持ちがわかるからです。

きっと、そのような意見をした人たちは10代の時に自殺をしようと思わなかった人たちなのだと思います。そして、そんな子どもたちの現状を知らず、知ろうと思わない人たちなのだと。

でも、そうやって批判してくれる人はまだ良い方で、それ以上に、そんなニュースを見ても何も思わない人が大半です。10代のうちに命を落としてしまう子がどんな思いだったのか、どれほどの環境下でこれまで生きてきたかを知らないまま、日常を過ごす人だって多いのではないでしょうか。


また、最近取り上げられるようになったLGBTsの問題。LGBTsなどの性的マイノリティーを抱えている人は約8%以上と言われ、学校のクラスのうち3人はその問題を抱えて生きているということになります。

それほどの人が抱えているのにも関わらず、LGBTsについて全く知らない人もまだまだ多く存在しますし、間違った解釈をしている人もいまだに多くいます。

今はたくさんの当事者の方やアライと呼ばれる支援者、協力者の方が認知の活動を進めているのにも関わらず、です。



こんな社会を目の当たりにして思うことは、今の社会は、いろんなことに無関心だということ。

だから、どんな苦しみや、生きづらさを抱えていたとしても知ることはありません。自分事ではない限り、他人のことは後飛ばしにします。

それは、自分自身の苦しさを抱えることでいっぱいいっぱいだからです。

社会では、辛いことや、苦しいことなどのネガティブなことを口に出すことは、良くないことだと思われています。そのことを言うことで邪険にされたり、避けられてしまうこともあります。

人は、人に嫌われること、避けられることを恐れます。

だからこそ、辛いこと、苦しいことを言えずに自分の苦しさでいっぱいっぱいになります。

そして、苦しさを口に出せないからこそ、その苦しさを知られたり、理解されることもありませんし、無関心が広がっていくのです。

また「自分のことで精いっぱいだから、他人のことに構ってあげられない。」から、「自分のことじゃないから、どうでもいい。」に変わっていくのです。

私はそんな社会を見て冷たくて悲しいと思うと同時に、いかに無知は残酷なことか、無関心は冷たいことかを感じました。


100%理解してくれなくていい、ただ知ってほしい


序盤に「人は経験したことしか、理解することはできない。」と書きました。確かにその通りだと思います。

だからと言って経験したとしても、人は一人ひとり違うため、抱えている問題や思いは似ていたとしてもバラバラです。そのため当事者だとしても、100%は理解できないのです。

それならば、当事者ではない人も、100%は理解できなくとも何%は理解できるのではないかと思うのです。

私の知っている不登校の相談にもよく乗っているカウンセラーの先生は、元々学校が大好きで不登校とは無縁だったそうです。

その先生の話から、不登校の経験がなくても、不登校の現状を知り、当事者の子からいろんなことを聞くことで、不登校に寄り添うことができるのだとおっしゃりました。


最初は、無知だとしても、同情だとしても構いません。

無知は、知っていけば無知にはなりませんし、同情は、そのことについて知ろう、理解しようと思っているからこそ、出てくる感情だからです。

いろんな生きづらさを抱える人は、何よりも理解を求めています。

理解することで、解決策や少しでも生きやすくなる方法を見つけていけるし、理解することが当事者にとって生きやすさに繋がるからです。

そのために社会に出て、知ってもらおう、理解してもらおうと動いている人たちがいます。

100%、すべてを理解してほしいなんて思いません。

当事者だったとしても、すべてを理解できないし、100%理解できるのは本人だけなのだから。


でも、生きづらさを抱える人の現状や、思い、苦しさを知ってください。

他人事だからと、目を背けないでください。

知ることが、理解することに繋がります。


「必ず、助けてくれる人がいる」

そうやって言う人は大勢います。しかし今の社会ではそうだとは思えません。

社会に無関心な人が多いこの世の中です。助けてくれるどころか、知らないと無視したり、目を背ける人が大半です。

でも一人ひとりが、目を背けることなく、知ることができるようになれば、理解に繋がり、解決策を共に見つけられる助けてくれる人が増えると信じています。


だから、最後に私からのお願いです。

少しでもいいから、生きづらさを抱える人の「今」を知ってください。それが理解することに繋がります。


編集後記


今回は社会について、色んな活動をしていた時から感じていたことについて書かせていただきました。

「生きづらさ」によりもっと共感・理解が広がる社会になっていけば、素敵な社会に、生きやすい社会になっていくと思います。

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